Lot no’2351
ALEXANDER McQUEEN
終身デザイナー アレキサンダー・マックイーン 1669年イギリス生まれ。中学卒業後、
パブで仕事をしていたが長くは続かず、仕立屋職人が人手不足というニュースを聞き付け
サヴィル・ロウの見習いをはじめる。アンダーソン&シェパード、ギーブス&ホークス
で3年間修行した後にイタリアへ渡りロメオ・ジリ等の元でキャリアを積む。ロンドンに
戻り、若干21歳でセントマーチンズにパターンカッティングの講師として雇われる。
その間にセントマーチンズの大学院課程を卒業する。卒業コレクションで「ヴォーグ」の
エディター(イザベラ・ブロウ)の目に留まったことがきっかけでデビューが決定。
92年「アレキサンダー・マックイーン」を立上げる。93年、ロンドンコレクション初参加
96年、ジバンシーのデザイナーに大抜擢された事と、同年26才の若さでブリティッシュ・
デザイナー・オブ・ジ・イヤーを受賞し世界中の注目を浴びる。以後、同賞は4回受賞。
ジバンシーの伝統をあえて受け継がず、あくまで独自のスタイルでコレクション発表する
事で当初は周囲から酷評を受けたが、徐々にその実力が認められてきた最中の2000年12月
「マックイーン社」株の51%を「グッチグループ」に売却。自社がグッチ側に付いた為、
「LVMH」の傘下ジバンシー社と仲違いし、契約期限終了前にデザイナーを更迭される。
同年ドキュメンタリー映画を手掛けるジョルジ・フォルシスとイビザで挙式。(以前から
同性愛者を公表している)03年にエリザベス女王から名誉大英勲章「C.B.E.」を授与。
06年、カジュアルライン「McQ」発表と「プーマ社」とのコラボスニーカーも話題に。
サヴィルロウ時代、自分が手がけたチャールズ皇太子のスーツの裏地にひわいな言葉を
書き込み物議を呼び、デビュー当初の「ハイランド・レイプ期」ではレースのドレスを
まとった血まみれのモデルを使い議論を巻き起こす。異端児、アンファン・テリブル
(恐るべき子供)と呼ばれ、輝かしい実績と夥しいゴシップを背負いながらも、誰もが
伝統的なテーラリングに添った「強さ」を求める挑発的なデザインに「天才」と認める。
10年2月11日ロンドンの自宅で死亡しているのが発見される。母親をロンドンコレクション
直前に亡くした事を理由に自殺と推測されるが、遺族らの訴えでこれ以上の報道は規制。
2月18日、グッチグループは「アレキサンダー・マックイーン」ビジネスをその創設者と
クリエイティブディレクターなしで継続すると発表した。(他のデザイナーは求めない)
マックイーンの葬式は2月25日に西ロンドン・ナイツブリッジ聖ポール教会で行われた。
◆ マックイーンの得意とする前衛的な奇抜さはございませんが、それらを衣類として
確立してきたビスポークが誇る圧倒的な美パターンが伝わるコットンジャケット♪
◆ 表記サイズ 44
◆ コンディション B 着用感の少ない優良品
◆ 店頭販売価格 25200円 ◆ 参考元上代 150000円



